マインドコントロールと仏教──本当の自由とは何か
gensetsu 玄雪の今ここ日記
お寺や神社では、一礼をすることがよくある。
けれどそれは、信仰心からというよりも、
日々の慌ただしさや、先を急ぐ気持ちに、
ほんの少し「間(ま)」を与えるための所作なのかもしれない。
以前、不悟庵に立ち寄ってくださったお客さんに、
「仏教では“今ここ”をしっかり生きることを大切にしているんですよ。
現代人は、身体はここにあっても、心は未来や過去にさまよいがちなんです」
とお話ししたことがある。
そのとき、その方が笑いながらこう言った。
「リレーでお父さんが、気持ちばかり先に走って転んじゃうのと似てますね」
まさにその通りだと思った。
たしかに私たちは、現実社会でも、心ばかりが前のめりになって、
身体がついてこられず、つまずくことがある。
だからこそ、一礼することで、
身体と心の歩幅をそろえる。
それは、仏さまへの敬意というよりも、
先を急いで転びそうな自分への、そっと差し出す「間」なのかもしれない。
副